北夙川不可止 弐千五〜六年の短歌作品

当ページには銀聲主宰者である北夙川不可止の2005〜2006年の短歌作品の一部を掲載します。




見上ぐれば圓き月あり諸々のこの世のことのなべて疎まし

見上ぐれば圓き月あり明日はまたけふより寒きと豫報聞きつつ

明けぬればまた疎ましき浮世なり夜更けてチャット打ち切りがたく

仕立屋を夕べ訪ひたり假縫ひの背廣の生地の艶々として

假縫ひを終へ仕立屋とダンディズムなど語ればはやも日は暮れはてぬ

二十世紀の初頭思はする型古き背廣仕立てて冬に備ふる

舊式の電話のベルの音の重く古き書齋の窓を震はす

リンリンと古き電話のベル鳴りて午後の書齋に筆を停めたり

舊式の受話器を取れば凩に混じりて放課後の少年の聲

舊式の重き受話器に君の声聽けば浮世の憂さの消えゆく

やうやくに初冬來りて襟卷を探せり 箪笥重く軋みて

この世をば憂しといはねど諸々の災厄の中首すくめつつ

サド侯の末裔氣取る吾なれど猫撫で聲に少年を呼ぶ

鍵開かぬ扉の奧の床の間の香炉の灰の白き靜けさ

十八になりても君の愛らしさ變はることなくケーキ食みをり

十八になりたる記念にエロ本を買へりと君は無邪氣に笑ふ

朝七時氣温零度の國道に都心へ向かふ車犇く

年暮れぬうちに寒さの極まりて今宵轉轍機の炙られてをり

鐘の音に續きオルガン響きたるカテドラルには雪の殘りて

冷えしるき聖誕の朝地震(なゐ)振りて長屋の屋根の雪滑り落つ

右傾化の進むと言へど元日に「日の丸」掲ぐる家は少なく

惡しき事件惡しき政治はそれとして友と炬燵にすき燒を喰ふ

少年と露天の風呂に見上げたる冬の望月霞み膨らむ

昨日までの最高氣温がこの朝の最低氣温 小糠雨降る

蜂蜜を湯煎しをれば大寒の厨に甘き香り漂ふ

篭りゐる大寒の日ははや暮れて受驗迫りし君を想へり

センター試驗いよに迫れど君からの電話の聲の甘さ變はらず

人心は金にて賈へるとほざきたる守錢奴かなし 若き沒落

電話すれば濟むと思へど携帶に短文メールのやりとり續く

冷えしるき二月一日行きつけの茶房の卓に櫻活けあり

雨やめば生温き風吹き抜けて北の新地に人らざはめく

寒き朝媼らとともに温泉の開くを待ちて日向ぼこせり

馬車道のレストランにて喰へば寒風にのり汽笛の聞こゆ

波止場より吹く風寒き居留地に異國の船の汽笛響きぬ

いきなりの蕁麻疹にて腫れあがる 手足 ままならぬは吾が身なり

越してきし君いそいそと吾が部屋を掃除してゐる春近き午後

ちーちやんと呼べば必ず返事して傷つく足にて驅け寄りてくる

冷房の効きし電車に冬物のスーツで乘れる五月雨の夜

五月雨に少女さびたる聲となる吾が飼ひ猫の腹の白さよ

玄關を開ければそこに猫のゐて吾が足許に纏はりつけり

ひはじめ一月あまり吾が猫の傷はやうやく塞がりてきぬ

ひはじめ一月にして吾が仔猫一瓩揩ケり 春深みゆく

顏馴染みになりたる獸醫もちはる抱き重くなりしを驚きていふ

瀕死なる仔猫拾ひしは二月末花散りし今驅け回りをり

窯元を巡れば塀に陶製の帶留ありて菫咲きをり

紫に太りし茄子の竝べられ五月の市場陽射し眩しき

寺町の伽藍に咲ける金雀兒(えにしだ)に火見櫓のKき影射す

葉櫻に注ぐ陽射しの眩しくてお百度石に濃き影搖るる

吾が膝にゆるゆると尾を振りながら仔猫は窓の方を見てゐる

夜もすがらキーボード打つ吾が膝に丸まり寢息立ててゐる猫

丸まりてかそけき寢息立つる猫烏の声に耳のみ動かす

吾が猫はもはや仔猫にあらずして書齋の窓を飽かず見てをり

窓の邊に動かぬ猫の背を撫づ 柱時計のとき告ぐる音

置きしばかりの石像はやも馴染みつつ十藥の花咲き盛る庭

つゆの雨に打たれてややに表情の變はりて見ゆる石像の貌

何年もゐたるごときに新入りの石像は吾が門を守れり

不思議なる縁によりて吾が庭に來たりて座るバリの石像

意外なほど小さき御坊の大屋根に雨漏り防ぐかトタン葺かれて

夏至暮れて氣温下がらぬ眞夜中を梅雨前線這ひ上がりつつ

梅雨時を四日旅して雨降らず暑き~田に鰻喰ひたり

蛇腹戸のエレベーターのある茶房バターケーキに昭和偲べり

眞夜中の入谷の路地を彷徨へば復興樣式の學び舎に遇ふ

入谷にて宿れば古き酒屋あり三階建ての甍ゆがみて

震災後復興されたる鐵筋の學舎に今も子らの聲する

初蝉の鳴くに醒めたりまだ梅雨の明けぬ朝の空氣重たく

日の暮れてやうやくややに風の吹くトーアロードの坂道をゆく

梅雨明けて暑きこの朝玄關の三和土に猫の貼りつきてをり

雨やみて祇園御靈會蒸し暑く少女ら粽賣り續くこゑ

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